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​国明ブログ

雪深い福井の山奥で育ち

更新日:2024年5月15日

雪深い福井の山奥で育ち、手負いのクマを一人で三日三晩追いかけて仕留めてきた父親に憧れ、源流の釣り、農耕馬の扱い、天然マイタケ採り、マムシの見つけ方、炭焼き、樹木について学んだ。何トンもの材木を木馬(キンマ)という手造りのソリに積んで、操作棒を操って一人で雪山の斜面を滑り下ろしている光景がすごかった。風呂場ではいつも軍歌、戦争で受けた尻の弾の跡を見せてくれた。逃げているときに撃たれたのだな、と思ったけど言わなかった。中学生の時に九頭竜ダムができて故郷を離れ、高校がある大野市に引っ越した。入試の前日に近くの山でスキーをしていて母親に、試験の前にスベッてどうするの!と叱られたのだが、大方の予想に反して、まったく奇跡的に合格することができた。すぐに剣道部に入って練習三昧。

2年生の時に生徒会長に立候補し、立会演説会がえらくウケて、当選した。丸刈りをやめて長髪の許可と国体の影響で中止になった秋の遠足を復活する、という公約を掲げたが、遠足復活は実現せず、長髪だけが許可された。3年生になり、卒業式の時に男子は全員長髪なのに、私だけが丸刈りで卒業証書を壇上で受け取った。長髪の禁止を撤廃した功労者なのに・・・。

実は卒業式の少し前に、下宿している学生の部屋にほぼクラス全員が集まって飲めや歌えの大宴会。運悪くその時、落としていた生徒手帳を届けに来た警察官に、煙とアルコールの匂いを感知されてしまったのだ。部屋の主が手帳の中にエロ写真を挟んでいたので、一言注意すべくやってきた警察官に、未成年の大宴会を学校へ通報されて、大事になってしまった。そのころ、いいことも悪いことも、すべての首謀者は清水国明と、全校の知るところだったので、私だけが校長室に呼び出され、私が丸刈りで卒業式出席、というペナルティーで参加者全員が無事卒業することができた。ちなみにその時私は酒もたばこもやっていなかった。コーラすら飲めず、ようやくファンタグレープなら飲めるようになったド田舎モンだったから。だからといって、罰を免れるための言い訳は一切話さず、どんな時も首謀者と推測してくれる世間の評価を、むしろ誇らしく思って丸刈りの罰を受け入れたのだ。級友たちと互いの未来を語り合ったとき、「国明はきっと、サラリーマンにはならない男だな」という意見で一致していた。その期待に応えねば、なんか面白いことをやらなければ、といつしか思い込んでいたのだろう。京都の大学に進んでも、そのプレッシャーで普通の日常に甘んじず、なんかいいことないかなとうろつく日々。何もいいことに出会えず、井の中の蛙が都会の厳し現実に打ちのめされていた。あの級友たちの言葉は「サラリーマンにはなれない男だな」という意味だったのだと思い知らされた。打ちのめされた泥沼から這い出ることができたのは、一筋のクモの糸。才能あふれる友人たちとの出会い。互いにスパークして、才能が目覚めてゆく奇跡の出会いだった。

 
 
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