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​国明ブログ

都民の不幸

更新日:2024年5月15日

いくつもの災害の現場へ出かけている。今も能登半島へ通っているのだが、劣悪な環境の避難所で、まるでデジャブーのような感覚、繰り返されているような悲惨さにいつも言葉を失う。学ばない人たち。のど元過ぎれば忘れてしまう私たち。こんなことでは駄目だと強く思っていたのに、やがて誰かがやってくれるのだろうと託してしまった後悔。誰かのせいではないのかもしれないが、このひどい避難民の扱いにいつしか慣れてしまい、備えようともせず、我慢を強いることが当たり前になっている現実。これは尋常ではないのだと気付かされた出来事が起きた。台湾の地震。避難所にはほんの数日滞在するだけで、しかもそこには食料も寝具も環境も整っていて、やがてすぐに快適な宿泊所へ入居できる体制がとられていた。

日本との違いに愕然とした人はたくさんいたと思う。今も避難所生活を強いられている人たちが、体育館のテレビで台湾の支援体制を見た人たちはどう思ったのだろうか。官と民が力を合わせて、訓練して備えて、迅速に行動した台湾と、ボランティアは来ないでください、などととぼけた告知を出していた間抜けな行政に呆れてしまうのだ。公のみで広域の災害に対応できるわけがない。思い上がりではないのかと思う。きめの細かいボランティアの行動があって、ダメージを受けた被災者がいくらか救われるのだ。民間との事前の連携、公助として災害の前に備えておかなければならない受け入れ施設の設置。すべてが「泥縄」で、発災してから仮設住宅を造り始める、後手後手の対策。その不備の谷間に「災害関連死」の数字が積みあがっていることを忘れてはならない。この泥縄対策しか講じれない公は、この人災の責任を取るべきなのだ。備えとは、事前に準備しておくことに他ならない。東京の直下型地震を想定すると、これまで各地で起きていた避難所の惨状が、何十倍、何百倍のスケールで出現するのは間違いないのだ。10年ぶりに再調査して想定の被災死亡者が減少したとアピールしているのは、それまでの行政の防災事業が功を奏していると言いたいだけのフェイク。調べた震源地も違うし、10年間のインフラの経年劣化や人口過密化が全く加味されていない。嘘をついて、大衆を欺いてまで地位と功名心に執着する人の下で災害を迎えるのは、都民のこの上ない不幸ではないだろうか。

 
 
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