誰にそそのかされて
- ライバー ハウス
- 2024年5月14日
- 読了時間: 5分
更新日:2024年5月20日
「誰にそそのかされて、血迷ったのだ?」
東京都知事選挙に出馬することを伝えると、私に直接ではないのだけれど、そのように言われたとの報告があった。日ごろから恩ある人で、現職知事とも親交が深い方なので、気まずいことになるのは予想していた。
「そそのかされた」というのは当たっている。「血迷った」というのも、まぁその通りだろう。元々出る気なんて微塵もなかったのだ。あるときの各界の重鎮が集まる会合で、都政について語っているとき、主に防災のことであったが、「じゃあ、国明さんが都知事になったら?」と誰かが言ったのだ。ウイスキーの貴重な「山崎」が振る舞われて、みんなご機嫌のピークだった。
「面白いねそれ!」といきなり全員が同調し、よせばいいのに私まで、「では知事に、もう一杯もらおうか」などと乗ってしまい、えらく盛り上がったのだ。「じゃあ私が副知事になろう」「金に糸目はつけないからね、実は日本を買い上げようかなと思っていたところなんだ」。
もう収集付かないくらいの言いたい放題。「清水国明都知事、いいね!落ちたってまったく失うもの無いからね」。『失うもの、あるのだけどな・・・』と内心思いつつ、雰囲気合わせてしまった私のせいでもある。「では都知事は帰ります」と二軒目の店でお開きを宣言し、見送られて自宅へ向かった。妻と息子はとっくに熟睡していたのだが、そっと揺り起こして「都知事選挙に出ることになったからね」と耳元でささやくと、「・・・私、うぐいす嬢をやるのは嫌だからね」と言い放ってすぐ、再び深い眠りに落ちて行ったのだ。『そこ?』と呆れたけれど、まあそれくらいのリアクションで、少し気持ちが軽くなった。
そのように「そそのかされ」た次の日、酔いが覚めてから考えてみたのだけれど、酒の席ではあるが大の大人があそこまで盛り上がったのだから、このまま放置するわけにはいかんだろと、次回のシラフでの会議を提案して、集まってもらうことにした。
結論から言うと、あれはすべて酒の上での話、ということになった。心地いいくらいの「はしご外し」である。「え?清水さん、本当にやる気なの?」。手ぶらもなんだからと私が簡単に用意した選挙出馬に関する資料に目を通しながら、尋ねられたのだ。『本当にやるもやらないも、みんなでやろうと言ったじゃないの』と責めたい気持ちを押さえて「まぁ、そんな状況になれば、やってもいいかなと・・・」曖昧に答えておいた。
あれは酒の上での話だから、とはあからさまに言わないものの「山崎の〇×年物、さすがに旨かったねー」と酒の話になり、『あーやっぱりそんなことなのだな』と納得した。
戯れ話だったにしてもその日から何日間か、もしやることになったら、あーしてこうしてと考えていた時間は、不思議にも意外と楽しかった。昨年の年末の出来事である。
大晦日と新年は、瀬戸内海に浮かぶ無人島「ありが島」で過ごすつもりで、東京から家族と車で向かい、ぎりぎり31日に到着した。島はログハウスも建てたお気に入りの場所である。じっくりと、冷静になって、行く末を考える時間にしようと思っていた。
2024年元旦。いきなり飛び込んできた能登半島の地震のニュース。自分の漁船で瀬戸内海の穏やかな海に浮かび、静かに竿を出しているときだった。ほぼ無意識のうちに竿を仕舞い込み、島に向かっていた。たくさん買い込んだお正月の餅にもまだ手を付けていないのに、急遽の帰り支度。説明する必要のない妻の理解がありがたかった。阪神淡路の震災、その後新潟、熊本、東北の震災にも、できる限り迅速に駆けつけて、できる限りの支援を続けている私の本気のライフワークを知っている妻。そういえば妻との出会いも、東北の震災復興の状況をレポートするテレビ番組だった。プロデューサーの彼女と仕事するうちに意気投合したのだ。途中少しの仮眠をとり、走り続けて東京に着いたのは二日の昼頃。真冬のこの季節、避難所で必要になると思われるテントとシュラフをできる限り積み込んで、そのまま運転して能登の珠洲市を目指したのである。
歩く禅、というのがあるらしいが、私の場合は長距離の運転中が最も雑念を払い、集中して思考することができる。能登に向かいながら気が付いたのは、唯一自分の人生でピュアに取り組んできたこと、飽きっぽい性格なのに継続して取り組んできたことと言えば、災害ボランティア活動しかないということ。、それだけはやがてあの世でご先祖に褒めてもらえるのかもしれないなと思ったのだ。これまで何度かの人生の岐路で私は、最終的にはご先祖の意思に沿うようにしてきた。えいやっという決断も、その天の声に従ってきたのだ。ややこしい話になってきたし、理解してはもらえないだろう。だから「なにを血迷ったのか」という言葉になるのだが、自分の中では納得の決断と行動になる。
東京都知事選挙に出馬するか否かを迷っている最中に起きた能登半島地震。これこそが私へ先祖からのメッセージ。「やってみろ」だと確信した。自己満足のボランティアをひたすら繰り返しているだけではなく、この活動でいつも感じていたこの国の災害対策の不備、そのことの改善点、解決方法を知っているのだったら、声を出して世間に発信しろ、立ち上がれ、結果を恐れるな、無策の谷間に落ちようとしている人々の命を救うのだ!
それからも何度か能登へ向かう車の中で、行動を共にしてくれている仲間に決意を打ち明けた。「誰にそそのかされた?」とは言われなかった。ややこしいのでご先祖に、とも言わなかった。
結末を見るまでずっとそばにいる、と言ってくれた仲間がなにより嬉しかったのである。