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​国明ブログ

奇跡の流れに身をまかせ

更新日:2024年5月21日

奇跡は続いていて、京都の大学生になって2年目、旅館のアルバイト先で鶴瓶と原田伸郎に出会った。それまでは、ジャズ喫茶のボーイ、スナックのバーテンダー、ダンプの運転手、トンネル工事の人夫、英会話塾の先生、陸送の運転手、そして貨物船の甲板員になってソ連、香港、インドネシアへ雑貨や材木を運んでいた。知り合ってすぐ、鶴瓶は同じ下宿の隣の部屋に入って、原田は毎日のように自宅から私の部屋へ通ってきていた。ビヤガーデンで歌う初仕事から、アマチュアとして出演した「ヤングオーオー」というテレビ番組に出てブレイクし、時給170円のバイトからいきなり、Gパンのポケットに100万円の札束が入っている生活へと激変した。一ヶ月前には下宿を追い出されて仕方なく京都駅の片隅で新聞紙にくるまって寝ていたのだが、その場所を、追っかけの若いフアンに囲まれて足早に改札へ向かっている。夢のようなそんな現実をしっかりと受け止められないまま、めったにない奇跡の流れに身を任せるしかなかった。ラジオ深夜放送、全国ツアー、テレビ番組。目まぐるしい毎日の中で、一人になると、この夢はいつ覚めるのだろうか、こんな生活を望んでいたのだろうか、と自問していた。しかしこうなったらトコトンやり切るしかないと鼓舞し、走り続けていたけれど10年で、萎えた。芸能界を見切ったのだと思う。ヒョンなことでオートバイのレース界に首を突っ込んで、抜けなくなり、10年間で13カ所の骨折と引き換えに国際A級ライセンスを手に入れて、鈴鹿8時間耐久レースに出場し、目標だった完走を果たした。芸能界からレース界へ。同じ界だけれどまったく評価の物差しが違っていることが興味深かった。目標を果たしたら、その世界から速やかに離れるのが「守破離」の極意。次にはアウトドア界。家族で全国一周キャンピングカーの旅、厳寒のアラスカキャンプ、灼熱の赤道直下無人島キャンプ、手造りウッドカヌーとログハウスキャンプ。すべて家族で遊び尽くした10年。福井、長野、北海道、福島、千葉、東京、対馬、熊本、山口でログハウスを建ててきた。「自然暮らしの会」や現地の仲間と共同作業、まったく一人で建てるチャレンジの数棟が面白かった。チェーンソーで太ももを削ったり、寒さの中で肺炎になったりはしたけれど、手応えのある充実した日々だった。富士山のふもとの富士河口湖町にキャンプ場を造り、株式会社として運営を始めたのが、ビジネス界の始まり。事業計画、定款、出資、株主総会、そして訴訟。資金繰りに苦労して奔走して資金繰り、資金繰りと繰り返しているうちに十二指腸に資金グリというグリグリの腫瘍ができて全摘出手術。お金のストレスが一番健康を蝕むことを悟った。儲かっても損しても、である。けれど、もうお金を追い求めるのはやめようと決めたとたんに、経験のない額の出資金が集まり始めたのだ。「5Gローカルイノベーション」「K&Jホールディングス」「瀬戸内アイランドウイスキー」「征インター」「LIVERHOUSE」「ソトイク」「ありが島リゾート」「e-charge」という株式会社を立ち上げ、運営することになった。

インターネット、電気、酒造、リゾート、金融と、何でもありの会社運営を任されているのだが、もうそろそろ実業界も10年になる。次の未だ見ぬ世界が見えてきてもいい頃なのかもしれない。


 
 
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