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​国明ブログ

~のため で湧いてくるチカラ

更新日:2024年5月21日

振り返ってみると、いくつものチャレンジとたくさんの失敗があって、けれど反省はしていても激しく後悔はしていない。チャレンジを迷って諦めていたとしたら、失敗したことよりも大きく後悔しているに違いないから。やった後悔よりも、やらなかった後悔の方が大きいのだ。

今目の前に、巨大なチェンジが迫っている。もちろん経験のない、未知の世界。これまでもそうだったように、興味もなく意欲もなかった分野なのだが、またしても「見る前に跳ぶ」ことにした。

これまでのチャレンジに共通するのは、表向きは「自分のため」なのだが、表裏一体のもう一つの動機は、「誰かのため」があった。喜ぶ親のため、好きな友達のため、慕ってくれる後輩のため、期待して集まってくれた仲間のため、信じて託してくれた人のため。大きな手術の時も、術後の痛みに耐えきれず、もう頑張らなくてもいいかと諦めかけたけれど、当時まだ幼くて、不安気な息子の瞳に見つめられて、とても不思議な気力が湧いてきた。『この子のために、絶対に死ぬもんか』。自分の限界を超えて、奇跡の力が得られるのは間違いなく自分のためではなく他の、「~のため」のチェレンジの時である。

これまでは自分を取り巻く範囲だったけれど、今度のそれに限っては、極端に広い。「みんなのため」・・・広すぎて大きすぎて、今回は奇跡の力も湧いてこないのかもしれないけれど、もって回らず端的に言うと、東京都の災害、直下型の地震に対する対策を抜本から見直すために、できる限りの活動をすることにした。(ありゃ、やっぱり端的じゃなかったな)

阪神淡路の大震災、新潟、東北、熊本、そして能登。各地の災害に関わってきて学んだ知見を活かしたいと思う。どこの被災地でも悲惨だった。家屋の倒壊やがけ崩れの大変さはもちろんだけれど、問題としなければならないのは、避難所の劣悪さだった。基本的な人権すら守られてない難民状態。毎回繰り返されるこの現象はもう人災なのだ。常に備えよう。備えあれば憂いなし、と口では言いつつも、公助を司る行政は本当の備えをしていない。ゼロである。備えるとは事前に準備することであって、コトが起きてからの行いを備えとは言わないのだ。著しく遅れている日本の災害対策を世界基準に近づけるために、行政には災害前に二次避難住宅とトレーラーハウス(移動型仮設住宅)のレスキューRVパークの大規模建設を強く求めてゆく。巨大組織の利権に阻まれて、行政としてこのプロジェクトの実現が叶わないまでも民間として、共鳴共感してくれる有志と共に、この活動は継続してゆく覚悟でいる。前例のないひどい東京の避難所に入るしかない事態に陥った時、繰り返し訴えていたことをようやく理解してもらえるのだろうが、それでは遅い。それでもできる限り速やかに、我々が活動している「安心安全安楽ネットワーク」のレスキューRVパークへ、もしくは提携のキャンプ場へ逃げ出して、最悪の災害関連死を免れてほしいと思っている。



 
 
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